「ニコっと笑った感じが、とっても頼りになる」と言われる介護リフォームの熊谷尚士(くまがいたかし)です。
「家でリハビリできるなんて、これほど贅沢なリハビリないなぁ」と笑顔になっていただけることが、わたしのよろこびです。
そのために、お客さんの気持ちを「本当にそれでいいですか?」としっかり確認するように心がけています。
なぜ、わたしが【誠実】を使命と掲げているのか、
聴いていただけますか?
「ぼくのために、がんばってくれてありがとう」
「子どもって、素直でいいなぁ」
若い頃、保育士になりたかった父。その想いを胸に、定年退職後、子供たちのために、紙芝居とアコーディオンを習い、ライフワークにしています。これと決めたら、一途にやり通す。
わたしが、1歳3ケ月のとき、ピーナッツチョコを兄たちと食べていたら犬に吠えられ、ノドに詰まらせてしまいました。その後、一ヵ月半も肺炎で苦しみ発作も続く。近くの病院に行ったら、これは命に関わるから、と言われ、90kmほど離れている松本市の病院に車で向かいました。
父は、初めての高速道路の運転。道もわからないし、運転も慣れてない。自分の息子を一刻もなんとかしたい。その一心で、必死になって運転。
「お父さん、ぼくのために、がんばってくれてありがとう」
「お母さんは、つきあいがうまいよなぁ」
父は、母のことをよくこう言っていました。
母は、人当たりがよく面倒見がいいので、地域の役員に選ばれていたのです。なによりも、人の悪口を言わない、ウラオモテない、誠実な人柄が、地域の人に信頼されていたのです。
わたしが高校2年のとき、母は、車を運転していて、車が大破するほどの大事故に巻き込まれました。父から高校に連絡が入り、授業を早退して病院に駆けつけました。すると、母は申し訳なさそうにいうのです。
「心配かけて、ごめんね」
わたしは、「ごめんね、じゃないよ。自分のことを心配しなよ」と言いました。
「おまえが中心になって、がんばっていけよ!」
わたしは、生まれたとき未熟児で、身体が小さく弱かったのです。保育園に入園して半年間も、恥ずかしくて先生に声をかけられませんでした。
小学校も、よく休んでいました。小学1年生のときは唾液腺の手術、2年生のときにも盲腸の手術。「学校、行きたくないなぁ」いつもそんな気持ちでした。大人しいし、うまくしゃべれない。感情を表に出さない子どもでした。
保育園のときからサッカーが大好きで、日曜日などは夢中になって、一人で練習に明け暮れる。リフティングができるまで、ずっと練習していました。
小学校5年生のときに、不思議な体験をしました。
ある日突然、自分の中に、新しい自分が入ってきたのです。
「もっと、笑ってもいい。もっと、元気でもいい」
それまで、しゃべらない大人しい子どもだったのが、しゃべれる自分になったのです。元気な活動的な自分になったのです。
中学に入ると、迷わずサッカー部に入りました。1年生からベンチに入れてもらえました。初めての試合でシュートを決めたことは、忘れられません。やっと一生懸命やれるもの、元気に動けるものを見つけたよろこびです。
わたしのポジションは、ミッドフィルダー。味方が「こっちにボールを出してくれ」というような動きを目で察知して、パスを出す役割。
アイコンタクトや言葉ではないところで意思の疎通をする必要があります。うまくしゃべることは苦手でも、人の雰囲気から気持ちを読み取ったり、イメージすることは得意になっていったのです。
中学1年の終わりに、サッカー部の顧問の先生が転任することになりました。ある日、先生から呼び出されて、こう言われました。
「これからは、おまえが中心になっていけよ」
いままでで、このように期待されたり、頼りにされたことがなかったので、とてもうれしかったです。
「ばくは、行かないです」
高校に入ったとき、6歳上の一番上の兄が病気になりました。兄の病気のことを知られると、うしろめたい気持ちになり、徐々に人を遠ざける、人に心を開かない、そんな人間になっていきました。
高校を卒業後、松本市の建設会社に就職しました。
入社して2年たったとき、兄が亡くなりました。高校のときから病気持ちのサッカー部の同級生も病気で亡くなりました。人はいつか亡くなる、人生一度きりなんだと、強く考えるようになりました。
仕事は、建築にとくに興味があったわけではありません。図面を読む力が弱く、「この先、やっていけるかなぁ」と不安になり、3年で辞めました。
料理が好きだったので、長野市の中華料理店に就職。皿洗いなど仕事が遅く、店長から「おまえ、遅い!仕事できん!」と怒られていました。悔しくて一人泣いていたものです。
あるときから、接客に回されたときが、一番楽しかったです。「なんか、この人話したそうだ」と感じると、一人で来るお客さんに声をかけていました。
「今日は、お一人ですか?」
声をかけられたお客さんが、ちょっとでもうれしそうに話してくれるのが、楽しかったのです。
ただ、中華料理店の仕事は、休みもなく、給料も安く、つらいことが多く、1年半で、逃げるように辞めました。
23歳のときに、自宅から通える段ボール工場に勤めました。工場の機械の工程を管理する仕事。わたしの作業が遅いと、後工程に迷惑がかかる。それでも、親切な先輩ができるまで教えてくれました。
工場は、仕事が終わったあと、みんなで飲みに行くことが多かったです。わたしは、自分のことをあれこれ聞かれるのがいやで、断っていました。
「ぼくは、行かないです」
「一緒になって考えてくれるから、心強い」
28歳のとき、妻が「こんな会社あるよ」と福祉機器のレンタルの会社をすすめてくれました。
段ボール会社の仕事にやりがいを感じなくなっていたので、妻の言葉を素直に信じて転職しました。
わたしが入社したころ、社長が介護保険を使った住宅改修の仕事を担当していました。私が建築の経験があったので、社長から「自分の会社だと思ってやってくれ」と言われました。
ゼロからのスタート、無我夢中で一生懸命にやりました。勉強会に参加したり、ビジネス書を読んだり、仕事にのめりこんでいきました。
住宅改修の事例集を作って、お客さんから住宅改修の相談を受けるケアマネージャーさんに渡しました。すると、ケアマネージャーさんが、よころんでくれたことが、とてもうれしかったです。
「熊谷さんは、言われたことを、こうしたら?あーしたら?って一緒になって考えてくれるから、心強いです」
入社して6年目。会社の体制が変わりました。それまで、自由に自分が考えたことをやっていたのが、会社が効率主義的になりました。利益にならないことはやりたがらない。お客さんのためになっても、無駄なことはやりたがらない。
たとえば、営業の人が、お客さんやケアマネージャーさんからの依頼をわたしに伝える。実際に、お客さんのところに行ったり、ケアマネージャーさんのお話を聴くと、なんかちがう。
「お客さんに言われたことしか、気にしていない…」
「お客さんは、もっとちがうことを言いたいのに…」
「お客さんの要望に応えたいケアマネージャーさんの想いを、わかっていない…」
そのうち、「こうした方がいいんじゃないですか?」と提案しても反対されるのではと思い、言いたいことを言わなくなったのです。
「なぜ、わたしが『誠実』を使命として掲げているのか?」
ある日、営業からの依頼でお客さんのところに行きました。お客さんと工事の打ち合わせをしていると、お客さんが望んでいることは、ちがうことでした。
でも、お客さんのためにと思っても、利益にならないことは、やらない。効率的でないことは、やらない、というのが、会社の雰囲気。結果として、営業からの依頼の通りの仕事をしました。
ある日、仕事が終わったあと、お客さんの寂しそうな顔を思い出したとき、「こんな対応でいいんだろうか?」と、ふと、疑問がわきました。
すると、
「おれ、なにやってんだろう?
誰のために仕事をしているんだ!」
自分がやっていることに、強烈に矛盾を感じました。
会社の人と考え方がちがうと感じていたのに、言いたいことを言わず波風を立てないようにしていた。
「そんなんじゃないだろう!」という不満を抱えているだけで、会社の人に自分の想いを伝えていなかった。
お客さんの気持ちはわかっているのに、会社の人は「どうせ、わかってくれないから」とあきらめていた。
結局は、自分が、想いを誠実に伝えていなかったのです。
なにより、本当は、自分がやりたい!想いがあるのに、自分に誠実ではない。
そうなんです。わたしは、会社の人に対しても、お客さんに対しても、自分に対しても、”誠実さ”が欠けていたのです。
そこから、わたしは、【誠実】を使命と掲げることにしました。
そう気づいてから、自分が直接、お客さんと接して、誠実に仕事をしたい。お客さんの要望に応えようとしている、ケアマネージャーさんの期待に誠実に対応したい。そう思うようになったのです。
その後、福祉住環境コーディネーター1級の資格とケアマネージャーの資格を取りました。38歳のとき、地元の高森町の起業支援も受け、独立しました。
20歳のとき、兄と大切な友人を亡くし、人生は一度きりという考えから、自分の想いに誠実に従おう、と思ったのです。
仕事は、主に、介護保険を利用して、お年寄りや障害を持った方のための住宅改修などを行うことです。
独立のことを両親に話すと、父からは「がんばれよ。なんとかなるだろう。もし、困ったことがあったら、話しろよ」と言われました。
母からは「あなたなら、できるわよ」と言われました。
【誠実】を使命に掲げて行動することで、お客さんの気持ちを「本当にそれでいいですか?」としっかり確認するようにしました。生活する上で、お客さんが、本当にやりたいことをやってもらいたい、ということも伝えるようにしました。
すると、お客さんの反応も変わってきたのです。なかなか言いづらいような、恥ずかしいこと、みっともないこと、自分ではできないことを、隠さずに打ち明けてくれるようになったのです。
そして、その気持ちに、誠実に、応えるようにすると、お客さんがよろこんでくれて前向きになってくれるのです。
その結果、お客さんから、いままでにない言葉を言われるようになったのです。
「ふすまの貼り替えなんて、頼んでも大丈夫かなと思ったけど、気持ちよく引き受けてくれるもんで、ありがたい」
「この外の斜めの手すり。これ、ホント使いやすくて、助かってる。よくこの手すり、付けてくれたな~と思って」
「家でリハビリできるなんて、これほど一番贅沢なリハビリの仕方は、ないねぇ」
そして、「熊谷さんがいるから安心して生活ができる」とお客さんに頼ってもらえると、なによりもうれしいのです。
また、ケアマネージャーさんからも、「いい人いたって!!相談してみよって」と思っていただき、相談が増えるようになりました。
あるケアマネージャーさんからは、このように言われました。
「お客さんのことを、もっと知りたい。単なる工事をするのではなく、お客さんの生活や思いを一生懸命、聞いてくれていた。嬉しかったですね」
「私一人では、できない仕事だから、あーしたい、こーしたい、と言う気持ちに熊谷さんは、すぐに応えてくれる」
「熊谷さんとひとつのチームで、お客さんとご家族をサポートして、人生の最後を『良かったね』って言う気持ちで、ご本人とご家族が迎えられた」
この言葉を聴いたとき、頼ってもらえたことが、しみじみうれしくなりました。
いままで普通にできていたことができなくなって不安に思っている方へ
「こんなこと、誰に頼んで良いかわからんなぁ…」
「どんなことでも、気持ちよく受けてくれる人おるかなぁ…」
「つき合いが長くなるんでね。気難しい人だったら、弱るなぁ~…」
そんな不安を抱えている方が、「これで、安心して生活できる」とよろこんでいただけたら、とてもうれしいです。
そのために、自分にもお客さんにも【誠実】を使命に掲げて行動していきます。
いま、人生を振り返って、たくさんの授かったものに気がつきました。
お父さんからは、一途な一生懸命さ。
お母さんからは、ひとに対する誠実な態度。
お父さんとお母さん、ありがとう。
最後に
天国のあんちゃんへ
小さいときから年の離れたぼくをかわいがってくれてありがとう。
あんちゃんの分まで、一生懸命がんばるでな。
自分にも人にも誠実になって、思ったことを伝えられるようにがんばるでな。
天国から、ぼくのことを見守っていてください。